9/19-20

雑記

電鋸男アニメ化

OP/EDを担当するミュージシャンと追加キャストの発表があった。(岸辺役がツダケン、嬉しい、嬉しい......)EDを交代で担当するのはニンジャスレイヤーなんかでもあったけど、そのラインナップがどう考えても異常だ。目についた要望を全部吸収したんか??

一目見た時はその豪華さにすごく嬉しくなったんだけど、時間が経つにつれて面倒なオタクの部分が顔を出してきてしまった。ホルモンやTKはよくわかるけど、AimerやEveやずとまよは本当にチェンソーマンに適してるか?鬼滅や呪術や諸々でのネームバリューがあったから呼んだだけなんじゃないか?という......(どのミュージシャンも大好きです。選定に対してのみ言っている)商業的な成功が重要なのは重々承知だし、選ばれたミュージシャンを疑っているわけではないが、タイアップにここまで気合を入れるからには、ミュージシャンと作品を両方知っている人間が「この作品にピッタリだな」と思えるような人選を期待してしまう。

ただ、そういう意味ではTOOBOEとPEOPLE 1の起用はめちゃくちゃ嬉しかった。次の2曲はチェンソーマンのイメージソングだと思っているので......。


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タイアップ含め、アニメ化は楽しみです。本当に。

オルタナ?エモ?ポストロック?

ジャンルの名前が紛らわしい。自分がオルタナにカテゴライズしていたものがオルタナではないと友達に言われて、自分の認識が若干歪んでいるのかもしれないと思った。そもそもの話としてジャンル名でラベリングすることへの賛否もあるが、そのジャンルに精通している人に怒られないくらいの感覚は身につけたい。

感想

以下は映画の話。例のごとく重大なネタバレあり。

ONE PIECE FILM RED

先日の無料公開で92巻まで読み、ワンピの面白さを再確認した。少し日数が空いたが映画も観に行くことにした。シャンクスに娘がいて、ルフィの子供時代の一部分を形成していたという重要すぎる事実をこのタイミングで明かしてしまう尾田っちのヤバさ。他にも、歴代のキャラが続々と登場したり、ウタウタの実が強力すぎていたりと、「そこまでやっていいんだ」尽くしのストーリーだった。歌唱担当としてAdoを起用して作中で歌わせるのは大成功だったと思う。「逆光」、めちゃくちゃかっこよかったね......。どの曲でもミュージカル的になりすぎず、映画を盛り上げる重要な要素として機能していた。ウタのキャラクターもとても良い。

ただ、作画や歌唱部分以外の演出については......。総合的にはSTRONG WORLDやFILM Zの方が楽しめたというのが正直なところ。FILM GOLDとSTAMPEDEもこれから観てみる。

NOPE/ノープ

池袋のIMAXシアターにて。PV以外の事前情報を入れず、周りの評判の良さだけで観に行ったけど、期待を超えて面白かった。ホラー映画というカテゴライズをしていいのかは疑問だけど、IMAXを存分に生かしてまんまと怖がらされてしまった。現代の最先端の技術でUFOの怖さを表現するとこうなりますよという感じ。一番怖かったのはゴーディのシーンだけど......。

ホラー表現も重要な要素ではあるけど、それ以上に噛みごたえのある映画だった。映画とはどんなものであるかということを、メディアの暴力性や黒人問題など、様々なテーマに絡めながら間接的に伝えている。オタクなので、そういうメタ的な視点を含む作品が大好き。兄妹は最終的に「Gジャン」をカメラに収めて生き延びることができるわけだけど、危険を顧みずに浅ましくも一攫千金を狙ったという観点では、殺されても不思議ではないはず。それでも生かしたというのは、黒人の映画業界における重要性を示し、また黒人である監督自身の挑戦状を突きつけている、みたいなふうに受け取っていいんだろうか......。

「最悪の奇跡」とは結局何なのかについてだけど、最も象徴的なのは「ゴーディの誕生日」事件でジュープが生き残ったことでしょう。奇跡的に倒立していた靴に視線を絞っていたことで、ゴーディに殺されずに済んだという。これについて、「ゴーディに殺されなかったのはたまたま(奇跡)であって、そこに何か他の要因を求めることは危険である(現に自分の幸運や才能を過信して「Gジャン」を利用しようとしたジュープは殺されてしまった)」ということ、さらに派生して「黒人問題のような社会問題はたまたま発生してしまった問題であって、そこに必然的な理由を見出してはならない」というメッセージを伝えているという考察を聞いて、なるほど〜となった。ジュープは倒立していた靴を自分の成功の象徴のように捉えているが、たまたまジュープとゴーディの間に視線を隔てるテーブルクロス(?)があったから殺されずに済んだだけなのではないか。

「Gジャン」側にとってみれば、エメラルドに巨大な風船を食わされてしまったことは「最悪の奇跡」と言えるが、思えば作中の被写体は馬や猿や「Gジャン」であり、撮られる側の視点が(人間には考えていることがわからないという意味で)欠けている。無理矢理カメラに収めようとすることの暴力性・危険性が表現されているわけだけど、撮る側にとって被写体が動物的であるということは何か意味を持っている気がする。

兄妹が交わす視線と、「Gジャン」に視線を合わせてはいけないということの意味、「Gジャン」が作る電気の不通地帯、ホルストが言った「光」や「照明」の意味とか、他にもよくわかってないことはまだ色々ある。ただ「NOPE」という言葉が余計な深読みに対するものであるみたいな考察もあって、過剰な深読みに適切にブレーキをかけるのって大事だよね、でも難しいよね、とも思った。上に書いた話にも通じる。

(あと食卓にあった一番搾り、なんだったん?)