2/8-2/11

2/8-2/9

同期3人で、院生主体のセミナー合宿に参加させてもらった。場所は八王子近くの峠の上にあるセミナーハウス。建物の外見の奇抜さと古さに警戒したけど、内装はそれなりにちゃんとしていた。日本の近代建築20選だとか、東京都選定歴史的建造物だとかに選ばれているらしい。懇親会ではD進をencourageされたりdiscourageされたりした。指定年限で学位を取れない人がまあまあいるこの分野の現状を真面目に考えると、本当にD進が怖くなってしまう。D進しても大丈夫な理由ばかり考えていることに気づいてから悩むのを止めてたけど、もう一度ちゃんと考えないとな。さらに、新D1の先輩が全然いないことを知った。コロナ禍が一番ひどいタイミングでB4〜M1の大事な時期を過ごしたということであれば仕方ないか......という気持ちに。頼れる先輩が少ないのは単純に悲しい。
夜中に同期3人で近くの公園に散歩に行った。開けた高台から多摩地区を一望できるようになっており、とても良い場所だった。そこで各々の昔話をするのは良い時間だった。めちゃくちゃ寒かったけど。聖蹟桜ヶ丘のゆうひの丘に次いで良い場所を見つけてしまった。セミナーハウスから帰る道すがらでも思ったけど、やっぱり多摩地区の雰囲気が好きだ。住んでみたらどうかは知らない。最近の思考回路が安直すぎることは認めるが、京王線の車窓を眺めがら聴くカネコアヤノが良かった。春休みの野望として、京王線沿線を目的を決めずに散策しまくりたいというのがある。

 


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良い。歌詞の青臭さも含めて、活動初期のみきとPを思わせる。

 

2/10

窓の外はめちゃくちゃ雪が降っていたが、一歩も外に出なかったので関係なく......。昼に起き、PSYCHO-PASSを観てバイトをしたら1日が終わった。

 

2/11

PSYCHO-PASSのシーズン1を見終わった。やっぱり面白すぎる。瑕疵を感じさせないストーリーの緻密さ、キャラ同士のかっこ良すぎる駆け引き、ロマン溢れる画作りと、本当に何も言うことがない。シーズン1が完成されすぎていて、逆にこれ以上のものは望めないなと思ってしまう。
中学か高校以来、時間をおいてもう一度見ると、いろんな発見があった。狡噛と槙島や雑賀先生のやり取りの内容がわかったり、小さな伏線回収(些細な言葉選びや仕草)に気づけたり。序盤から中盤にかけてシビュラシステムに支配された社会の欠陥が様々な形で暴かれていくと同時に刑事課1係が黒幕・槙島に徐々に接近していき、終盤では市民の暴動という大事件を経てシビュラシステムの正体が明らかになる、そして狡噛と常守という2人の主人公がそれぞれの選択を迫られるという構成が美しすぎる。最終話で狡噛によって槙島の人間味が引き出されて、結局のところその行動原理が孤独感であったというのも良い。ただ狡噛は結局法律の外に出て殺人を犯してしまったのであって、その後のシリーズでもその清算はついていないと思うので、今度の映画で何らかの答えが出されることに期待したい。常森がシビュラに示した「人の力を信じる」という回答も最終話として美しすぎる。ある意味槙島的でもあって、この3人の共通点が物語の伝えるメッセージを強固なものにしていると思った。

 

「断片的なものの社会学」を読み終わった。人生はそもそも無意味なものであるという考え方が通底していて、説教臭くなく虚無的でもなく、ただそうだよなあと思いながら読んでた。「自分を差し出す」の話が良かった。自分の人格は他者の人格の模倣から合成されたものにすぎず、何も特別な価値はない。だからこそ、人は自分の人生を捨てることになるかもしれない賭けに出ることができる。(それが良いことか悪いことかは問題にしてない。)他にも「幸せ」の固定観念が持つ暴力性とか、他人との距離感や孤独感とか、「普通」というラベリングの話とか、そのどうしようもなさがただ陳列される。はっきりとした答えを出さないのは諦念のように見えて諦念でなく、ずっと考え続けることを引き受けているように感じられた。