11/8-14

BUMP OF CHICKENのスタジオライブを観た。『アカシア』の歌詞がやっぱり良いなあと思った。4人で向かい合う形で楽しそうに演奏してるのがこっちも嬉しかったし、最後に笑いながら捌けていくのも良かった。完全にバンプの耳になってしまったので、これから聴き込み直す予定。

結成日の2月10日と翌日の11日に幕張でライブをやるらしい。25周年か…。ちょうど昨日友達とバンプのライブ行きたいな〜って話していたところだったので(びっくり)、申し込もうと思う。(当選はあんまり期待しないでおく…)

 

米沢穂信『王とサーカス』

読み終わった。期待していた内容とは少し違ったけど、これはこれですごく面白かった。(以下ネタバレあり

 

2001年に起きたネパール王族殺人事件が舞台。たまたま居合わせたフリーの記者である主人公、太刀洗万智がその事件を取材する中で、背中に"INFORMER"(密告者)と刻まれた死体を発見する。万智は「自分に降りかかることのない惨劇」という刺激的な娯楽を提供するジャーナリズムの側面に向き合いながら、その死体の真相を追求していく。

王族殺人事件は割と事実に忠実に描写されているらしく、なかなかのリアリティがあったのだけど、中心はそこではなく、死体の真相に関する部分だった。(肩透かし感はあったけど、実際に王族殺人事件はまだ真相がわかっていない部分が多いらしい。)謎の死体は、カトマンズを学校に行けない子供たちで溢れ返らせたジャーナリズムに対する怒りに駆動されて演出されたものであり、万智に王族殺人事件と関連があるかのような形で報道させ、「ハゲワシと少女」よろしく万智を非難の的にすること、そしてジャーナリズムに対する信用を地に落とすことを目的としたものだった。犯人の切実な思いが吐露されることで、本書のテーマが浮き彫りになる。前半で読者を王族殺人事件を娯楽として消費する者に仕立て上げた上で、最後にその事実を突きつける手口が上手いな〜と。結局万智は「ここがどういう場所なのか、わたしがいるのはどういう場所なのか、明らかにしたい」という意志のもと、「かなしみとされるものは本当にかなしみなのか。よろこびとされるものは本当によろこびなのか。疑い、調べ、書き続け」ることを選んだ。

ジャーナリズムの悪い側面は取り沙汰されることが多いけど、本文中でも指摘されているように、警察などの公的な組織とのバランスの上で無くてはならない存在なのだと思う。政治家の汚職なんかはジャーナリストの貪欲な活動によってこそ摘発することが可能になる側面もあるんだろう。ただ、芸能人の不倫騒動みたいなことに関しては、ジャーナリズムに対してかなり強い嫌悪感を持っている。個人の人間関係の問題は当人の間で解決すればいい話で、我々が知る必要は全くないはず。なのに、それが大衆に晒されることでネットリンチの的になって、場合によっては活動休止まで追い込まれる。好きなタレントがそういう問題を抱えていたことでショックを受けることを否定する気は全く無いけど、今の社会はその影響が大きすぎないかといつも思う。ジャーナリスト側にとってみれば、こういう報道で数字を稼いで利益に結びつけないといけないみたいな事情もあるのかもしれないけど、発信する側にしても受け取る側にしても、もうちょっと意識が変わらないものかなあと…

 

SPOOL


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名前はなんとなく知ってたけど、初めてちゃんと聴いた。紛うことなき和製シューゲイザーマイブラの影響をかなり強く受けているんだろうなということが伝わってきて良い。心地いい浮遊感で、ずっと聴いていられる。アルバム一曲目の『nightescape』が特に好き。


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kemu / 瓦礫の塔


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kemu10周年の曲。普段堀江晶太名義で出している曲は派手なギターのフレーズが特徴のように思うけど、この曲ではそれがシンセに取って代わっている。その点で『人生リセットボタン』の時代への回帰が感じられて良かった。PENGUIN RESEARCHでやったらどうなるのかも気になる。

個人名義で活動している元有名ボカロPの久しぶりのボカロ曲ということで、ハチの『砂の惑星』と比較してしまう。砂の惑星は明確にボカロ文化のことを指しているけど、瓦礫の塔もそうなんじゃないか。ただ前者がかなり失望を露わにした表現であったのに対して、後者からはそういう印象を受けなかった。「かけがえのないがらくた」という歌詞が示すように、雑多なサブカルチャーとしてのボカロ文化を愛していることが伝わってきて嬉しい。でも「瓦礫」なのかーと引っかからないこともない。

 

プロジェクトセカイ

「瓦礫の塔」なり「砂の惑星」なり言われているボカロ文化だけど、プロセカの台頭でかなり勢いを取り戻している印象がある。自分はやっていないけど曲はいくつか知っていて、追いきれていない曲もたくさんあることを知ったのでメモしておく。配信されていない曲も結構あって、全部配信してほしいなあという気持ち。

Leo/need / 「1」(作曲:164)

このユニット(バンド?)の『ステラ』『霽れを待つ』『needLe』は知っていて結構聴いていたけど、この曲は知らなかった。主張の強いベースがめちゃくちゃかっこいい。サビのメロディ、往年のボカロ曲感があって、懐かしくて切ない気持ちになる…

Leo/need / フロムトーキョー(作曲:夏代孝明)

この人は歌い手って印象があったけど、ボカロPにもなってたのか。40mPに通じる爽やかさで、かなり気に入った。

25時、ナイトコードで。 / 悔やむと書いてミライ (作曲:まふまふ)

イントロ聴いた瞬間に「神僕じゃん!」と思ってしまった(ごめんなさい)。神僕の曲ってNeru成分が強いと思ってたけど、意外とまふまふさんの寄与も大きいんだなーという気づきがあった(ほんとすみません…)

↓他にも色々

Leo/need / 流星のパルス(作曲:*Luna)

Vivid BAD SQUAD / Ready Steady(作曲:Giga

Vivid BAD SQUAD / Forward(作曲:R Sound Design)

Vivid BAD SQUAD / Beat Eater(作曲:ポリスピカデリー)

25時、ナイトコードで。 / 限りなく灰色へ(作曲:すりぃ)

まだ聴けてないのも結構ある。書いてて思ったけど、それぞれの曲を歌唱ユニットのものとして表記すべきなのか、作曲者とすべきなのか迷う… ボカロ曲だと例えば「初音ミクの曲」というよりも「◯◯Pの曲」という印象が強いと思うけど、プロセカってちょうどその中間っぽくない?